頑固一徹の由来となった人物
頑固一徹で何が悪い 稲葉一鉄
稲葉一鉄は美濃の土岐頼芸、続いて斎藤氏 織田氏 豊臣氏に仕えた武将です。
江戸幕府3代将軍 徳川家光の乳母である春日局の外祖父にあたります。
・出自 紹介
一鉄の祖父 稲葉通貞は伊予の国の名族である河野氏の一族だと伝わっています。
河野氏は地元の有力豪族の越智の氏の流れをくみます。
美濃国人の稲葉通則の6男として生まれた一鉄は幼少期に出家します。
しかし1525年の牧田の戦いにて。と5人の兄が全員戦死したため還俗します。
彼が指揮する戦はほとんど勝っていたらしく、一部では『無敗の武将』ともいわれていました。
・頑固一徹の由来は一鉄にあった
織田氏に仕えていたころの活躍はすさまじかったようで、石山本願寺戦で殿を務めきるなど負け戦でも、浅井朝倉連合軍との姉川の戦い徳川家康と戦況を決める大活躍
そして信長に「長の一字をあげるから長通と名乗ってみたら?」と言われますが、一鉄はこれを固辞してしまったのです。
その飲みの席いた武将たちも唖然としたでしょうね、あの信長がこれに怒り切腹を申し付けるなんてとこはさすがになくても主の言うことを固辞するこういうところが『頑固一徹』の由来になっています。
・感想
いきなり戦死とは言え兄と父が亡くなる、悲しすぎますね。
しかしこの経験が一鉄の原動力となったのでしょうか。
最近のご時世にもなぜかこういう頑固でまっすぐな男って賛否両論ありますよね
しかし自分の考えを思いどうりに相手が目上でも伝える。これって自分に自信がある裏付けでかっこいいと思います。
現代で減ってきているこの生き様をいまこそ再確認してみる。
意外と大事かもしれませんね。